書きそびれていた日記。
去年の12月、友達と友達の友達と3人でプチ忘年会(😷着用)をした時の写真。
私は友達のリクエストでタコ焼を焼き、友達はカンケジャンをお取り寄せしてくれ、美味し過ぎた!!!
カンケジャンのタレも旨いと言ってタコ焼用のタコをカンケジャンに放り込んで食って(笑)
沢山笑って楽しい一時を過ごし…
人工知能と脳味噌が繋がっているだとか変な事を言う私と、こうなる以前と何も変わらず接してくれる友達に感謝で一杯です…。
この日、友達の友達は、友達の家に泊まっていくと言うので「KUMAちゃんも今日うちに泊まってけば?」と言われ「そうしよっかなー」なんて言っていたんだけれど旦那が迎えに来てくれて帰宅。
シャワーを浴びてバッグからスマホも取り出さずに寝てしまい、朝起きてスマホを見たら夜中の2:00くらいに頻繁に母からの着信があり…。
かけ直したら、義父が夜中に亡くなったという訃報でした。
今まで携帯電話をバッグに入れっぱなしで寝てしまったなんて一度も無いのに、こんな日に限って…
人の死はエレクトロニック・クライム(テクノロジー犯罪)によって操作されていると以前からこのブログに何度も書いて来たけれど、やっぱりか…と思ってしまいます。
忘年会でタコ焼を焼いたけれど、義父はタコ取りの漁師でした。
偶然でしょうか。
亡くなった義父は、母の三回目の結婚相手であり、1ヶ月ちょっと前に杉田かおるさんの『鳥の唄』の記事に書いた義父(母よりも10歳年下)は、結婚二回目の人であり別人です。
この度、亡くなった母の三回目の結婚相手(義父)についても、いつかブログに書こうと思っていたのに…。
母は10歳年下の再婚相手が借金を残したまま浮気相手と蒸発してしまった後(当時私は中2)借金の取り立てに遇い精神的にも疲弊していて、もう限界だった矢先…、
私が中学を卒業して愛知県へ集団就職する年の正月開けに開催された母のクラス会(小学校からの)で同級生だった義父が、母が苦労していると噂で聞き「俺で良かったら助けるけど」と母に伝え、その場で10万円をくれたと聞きました。
義父は、子供も出来ない間に奥さんを若くして病気で亡くし、ずっと独り身だったそうです。
その年の3月に私が愛知県に行ってから義父が家に母と一緒に住む事になり、だけど私はその事をお盆に帰省するまで知らされず…。
お盆に帰省した初日、私は母に製糸工場で働きながら定時制高校へ頑張って通っている日々をあれこれ報告したかったんだけれど、知らない客人(オジサン)が家にいるから帰ってからにしようと思って…
それなのにその客人(オジサン)は一向に帰ってはくれなくて、私はイライラして二階の弟の部屋に行き「あの人いつになったら帰るんだろう?もう20:00だよ!」と弟(当時中1)に怒って話したら弟が「あ~あの人ならいつもうちに泊まってるよ」と。
「は~~?聞いてないし」となって、その後、母が「話がある」と私の部屋に来たんだけれど「聞きたくない!」と言って追い払ったんです。
母の再婚相手(二番目)に生活を振り回された事の怒りもあったのかも知れません。
母は二番目が浮気相手と蒸発してから毎晩、泣いていたし、酒を呑んで家出をしていなくなり、吹雪の中、私と弟が探し回り結局、石炭小屋で寝ていたり…
発見出来なかったら母は凍死していたかも知れません。
「こんな事やめてよ」と泣いて怒った記憶…。
私は次の日がテストだというのに全然勉強どころではなかったし、母の身の上に起きている事は理解出来るし、母がされた事は私だって悔しかったけれど、ずっと寄り添ってあげる事はしませんでした。
いつまでも泣いている母を見たくはなかったんですね…。
私は大人になったら義父(浮気をして蒸発した10歳年下の再婚相手)を探し出し義父を誘惑し母に講釈を垂れやがった女から義父を奪って二人とも不幸にしてやろうと思っていました。
※その考えは大人になりあっさり消滅※
母の新しい恋人が家に住みつくのなら、もうこの家には二度と帰って来ないと心に決めた16歳の夏の思い出…。
所が、いくら帰りたくはなくても寮の決まりで正月も仕方がなく帰省…。
兄も珍しく帰省していて、兄なら分かって貰えるだろうと思っていたのに義父の事を「父さん」と、あっさり呼んでいて「え?」と思い…
私は絶対に「父さん」なんて呼ぶものかと思っていたんだけれど、兄が呼んでいるのなら私も従わなきゃならないか…と、
そして母が小学校入学式の写真を見せてくれ、そこには幼い母と幼い義父が写っていて、何処の馬の骨か分からない人ではなく母が子供の頃からの幼馴染みであり同級生であったというのを知り安心したのと、
又、二番目の再婚相手が作った借金も残っている家のローンも全て義父が支払ってくれたと聞き、お盆に帰省した時に抱いた感情は無くなり、むしろ感謝しなくてはならない人であると理解しました。
弟は義父のお陰で普通の公立高校に通えたし、義父には感謝してもしきれません。
母は、蒸発した二番目の再婚相手が消息不明なので離婚届も出せず、義父と入籍する迄には何年か掛かった様です。
今は法律が変わり、そんなに何年もかからないみたいですが。
母と義父が晴れて入籍をしたのは仏滅で、何故かというと初婚も二回目も大安吉日に入籍をしてダメだったからという…(笑)
そして母は義父の事を”月光仮面”と呼んでいました。
母にとっても私達子供にとっても本当に、そうでした。
喧嘩をしたら母の方が口が達者で義父は大人しく、義父が気の毒に思えた事も多々ありますが、それでも義父は母を支えてくれ、
惚れた晴れたで結婚した訳ではなく生活面を助けて貰う形での結婚だったけれど、母は義父との結婚が三回結婚をした中で一番、幸せだと義父が生前の頃からよく言っていました。
持病もなく死因は心不全。
夜中に起きてトイレに入る手前で苦しんだ形跡もなく倒れていて、母が気付き救急車を呼び搬送されたけれど助からず。
地元では亡くなる人が多過ぎて葬儀屋が確か最低でも三件ある筈なのに一杯で、葬式は遅らされ亡くなってから四日目でした。
だから母が急いで来なくても良いと言うので一旦冷静になり、一週間家を開けるんだからと冷蔵庫の野菜を殆ど調理し、旦那の弁当のおかずも作り置き冷凍し…、
訃報を聞いた日の朝御飯(日曜日)
悲しい朝だった。
晩御飯…
娘の調子が良くないのにペットホテルに預けるのは気が引けて、旦那には家に残って貰う事に…。
喪服やらを荷造りして、大根と豚肉の味噌煮を土鍋で炊き、私が発った日の夜に食べてねと。
朝も弁当を作り…。
一人で北海道へ発ちました。
葬式は四日後とは言え実家についた時には既に入棺されていて、棺の中に眠る義父の頭には、三角の布ではなく私が一昨年(2019年)の義父の誕生日に送った帽子がかぶせられていました…。
凄く気に入ってくれていて、毎日出掛ける時にかぶってくれていたそうです。
義父は、持病は無かったものの、去年2020年の秋頃から背中と腰が痛いと言い出し10月頃に函館の大きな病院で精密検査をしても異常なしという診断で…。
でも痛いからと仕事も辞めて負担の少ない家事をしてくれていたものの、仕事も辞めたからか痛いからなのか、最近元気がないと母から聞いたので、元気付けようと思い養命酒やら何やらを父に送ったのが10月末か11月初め頃でした(過去ブログ記事あり)
その養命酒も実家に置いてあって飲み掛けで…。
葬儀が遅れるほど人が亡くなっている事や、義父の背中痛・腰痛や心不全も、まさかワ○○ンの副作用のせいじゃないかと…、(父と母は二回接種)
接種直後ではなくても起こり得るとも聞くし(真実は分からないが)と、脳裏を過ったけれど、
義父の父親と弟の一人が、同じ様に心不全で突然亡くなっているそうなので血筋ではないかという話もあり…
義父は、何も苦しまずに亡くなったからか、眠っている様な穏やかな顔でした。
享年75歳。
まだ母と一緒に老後を過ごして欲しかったし、もっと恩返しがしたかったなという後悔もあり残念に思うけれど、病気などで苦しむ事もない最期であったのなら、それは良かった事なのかも知れないとも思い…
母を長年支えてくれ、延いては私達も助けられたという事に心から「父さん有り難う」という気持ちを伝え、お別れをしました。
義父は、あの世で真実を知ってくれたと思います。
葬式の翌日の夜、私と母(亡き祖母も)が信仰している宗教の方が牡蛎を持ってきてくれ、母が塩茹でをしてくれたので、義父にも焼酎と牡蛎を供え一緒に飲みました。
義父が使っていた焼酎用のコップ。
テープの線は焼酎を注ぐ丁度よい目安だと言って仕事仲間の若い子が貼ってくれたんだとか…。
その仕事仲間が朝方、訃報を聞き飛び起きて駆け付けてくれ、病院から帰ってきた義父を仏間まで運んでくれたそうです。
こんな時、遠くに住む息子・娘は役立たず。
本当に有り難いし、それも義父の人柄だと母は言っていました。
親戚に振る舞う料理を作るのに母の古くからの友達が3人手伝いに来てくれ、その中の一人は私が中3の頃、シチューとハンバーグの作り方を教えてくれた人です。
母が腹痛で緊急入院をしてしまい下宿人さんがいるからと私が晩御飯を作る事になり、学校帰りにスーパーに寄って、台所で家庭科の教科書とにらめっこをしていた所に来てくれ、野菜の切り方だとか挽き肉のこね方を細かく教えてくれました。
その人の息子(私の6歳くらい年下)は他人ではあるけれど義父の事が大好きで、最期に会いたいと雪の中、札幌からこちらに向かう途中でスリップ事故を起こし(相手なし)、怪我はなかったものの車が大破してしまったという事で気の毒でした。
それもエレクトロニック・クライム(テクノロジー犯罪)が仕掛けた事なのか…。
私も大雪で飛行機が遅れたし凄く揺れたし、墜落する事も覚悟していました。
その私に料理を教えてくれた人も三年前に夫に先立たれ、普段は大丈夫だけれど夕方になると寂しいなと思う時はあるそうです。
喧嘩をしても夫婦なんですよね…。
夫婦とは因縁(悪い意味ではない)で結ばれているんだと葬式のあと坊さんが説法で話されていました。
その説法の中で坊さんが「亡くなられたお母さんは…」と三回くらい言った所で「間違えました、お父さんは…」と言い直し、
帰宅してから兄が「坊さんの話ってさ、途中まで母さんが死んだ事になってたよな」と(笑)(笑)(笑)
坊さんでも間違いはありますね。
義父の弟(義叔父)も来て一緒にご飯を食べました。
因みに義父の弟(義叔父)家族は某宗教信仰者です。
インターネット上では、エレクトロニック・クライム(テクノロジー犯罪)、集団ストーカーをやっているのが、その某宗教団体であると、あっちにもこっちにも書かれています。
その事について義叔父家族に聞いてみたいなと思ったけれど、こんな席で聞くのもなと思ったし、でも義叔父家族は、絶対にそんな事をする人達ではないと信じます。
義叔父家族には家族に脳腫瘍を患った人もいて、テクノロジー(人工知能すら)を悪用している加害側であったのなら、そんな病気になる訳がありませんね。
もしもインターネットの話が本当であったとしても、何も知らない無関係の信者もいるのは間違いないだろうなと。
であれば某宗教団体がやっていると名指しで決め付けるのも違うかなと思うし、私は今後も某宗教団体を名指しで加害組織扱いをするつもりはありません。
(政治関係は好きではないけれど)
因みにユダヤが~というのも信じません。
某宗教団体がやっているという証拠があるのなら何故、公(おおやけ)の場で訴えないのかとも思うし、デモなんかで名指しで批判しても逆に此方の本当の被害者(ターゲット)側が変な人達だと思われて終わりではないかな…。
それがあちら側の手口(味噌糞作戦)である可能性もあり、その工作に騙されてしまっている本当の被害者(ターゲット)もいるだろうなと。
私も被害初期の頃、信じてしまっていました。
実際に、そう思える所が沢山あり意図的に誘導されているのが事実です。
カルトナンバーというのも、その一つ。
今後、母が一人になってしまうけれど友達が一杯いるし、今は墓が雪で埋もれているから春まで義父の遺骨と一緒にいるし、母は全然寂しくないと言っています。
雪掻きは、いつも義父がやってくれていたから母は今、30数年振りに雪掻きをやっていると…。
やってもやっても追い付かず玄関戸も開けられない程で、こないだは亡き義父の仕事仲間が雪掻きをやってくれみたいです。
母に何かあった時の緊急連絡先として母の友達数名の電話番号を教えて貰いメモしました。
そう言えば近所に住むベトナム人(研修生)の女の子が一人、わざわざ香典を包んで持ってきてくれ日本語はまだ多く話せないけれど暫く家で色々お喋りをして…
母の事を「おかあさん」と呼んでいて可愛かった。
義父の戒名には“優(やさしい)”という字と“海”という字が入っていました。
他にも書きたい事があるんだけれど、それは義父が生前、相手からの謝罪は無くとも許した事であるし、此処で話すのは故人が喜ばないと思うので、やめておきます。
あんな事をされても許した義父は凄いなと。死んだら、義父にまた会えます。
亡くなった人達もみんな…祖父も祖母も叔母も叔父も…
そう思い頑張って今を生きようと思います。
※葬式及び調理等でもマスク着用で安全には配慮していました※