今日8/15(月)は、終戦記念日だったけれど、一部の日本人が「終戦記念日ではなく敗戦記念日と呼ぶのが正しい」などとインフルエンサー的に宣っているのをメディアが嬉々としてネットニュースに取引りあげていた。
出先で忙しかったから直ぐに閉じ帰宅してから改めてそのニュース記事を読もうと探したけれど、もう見付からない。
敗戦した国なのだから確かに正しいと言えば正しいけれど、日本人が日本国内で使う言葉として心情的にそれは、正しい表現なのだろうか。
アメリカ人が日本人に対して使う言葉であれば1000歩譲って、それは正しいと私は言うし、日本人であっても、そう思う人は、そう表現したら良い(表現・言論の自由の範囲内)とは思うけれど、それをメディアが一々取り上げる必要性が何処に有るのかと思う。
それをヨシとするならば、広島・長崎へ原子爆弾が落とされた日は「原子爆弾による世界初の人体実験記念日」と呼べば良い。
武器も持たない日本全国の民間人がB29の空襲によって大量に殺戮された日も「民間人大量殺戮記念日」と呼べば良い。
自分の愛する家族・親が亡くなった日は「逝去記念日」となる。
記念日という言葉は、良いこと悪いこと、どちらに使われるべきかの区切りは無いと言われているからこその言い分であり、日本国民の心情を汲み取る必要性など無いのだろう。
こういった表現の仕方が人々の心にどの様な影響をもたらすか、どんな嫌な気持ちにさせるのか(嫌がらせハラスメントの部類)、人間の心理をよくよく熟知している側の人間が日本国内で『敗戦記念日』と表現するのなら、あ~そういう事かと腑に落ちる。
愛知トリエンナーレ美術館での一件も似たような(職権濫用含む)ハラスメントだった。
終戦だとか敗戦以前に私が思うのは、日本国民の大量殺戮【ジェノサイド】【人体実験】が1945年以降、終わりもせず続いているという事。
今までコソコソ実行してきた数々の人体実験が、この度のコ◯ナのワ◯◯ン接種によって人々の同意を得られたという実績が出来てしまったし、それによる人々の深層心理として人体実験に対する間違った免疫が出来てしまい何も文句など言わなくなってしまう事が懸念される。
今後は、正々堂々と自らの悪行三昧をさも人々の為であるという大義名分を掲げ、これまでのジェノサイドを正当化していく様になると予測している。
そして残虐非道な科学者の言いなりになり、酷い事をされている側であるのに神以上に崇拝する方向へ仕向けられるのだろうなと。
カルト宗教は、いけないと叫んでいる無宗教者もトイレットペーパーカルト教団に家族・日本国民の命をお布施するという形。
ミサイル攻撃・原子爆弾投下は無くとも別の形(ハイテクノロジーによる人体実験)により最早、日本人が絶滅してしまう一歩手前まで来た。
それが今2022~2024年なのだと思っている。
バブル崩壊の時、大量の自殺者が出たけれどメディア報道の通り巨額の資産を溶かしてしまった事による自殺であったのか、その理由さえ今は、疑わしいと思っている。
私含む団塊ジュニアは、最初から実験用マウスとして一時的に大量生産されたのだろうなと。
そして氷河期世代等と呼ばれ今では8050問題の当事者になっている。
元総理大臣を襲撃した人物も氷河期世代だ。
エレクトロニック・ハラスメント (テクノロジー犯罪) 2016~2019.08Yahoo!ブログ記録
テレイグジスタンスと脳侵略者 - エレクトロニック・ハラスメント (テクノロジー犯罪) 2016~2019.08Yahoo!ブログ記録