定時制高校2年生の時、ある日愛知県の製糸工場で働いていた私の元に実家から電話が入り会社の守衛室に呼ばれました。
母からの電話で、祖父が入院したという事でした。
忙しいから掛けなおすと言い一旦電話を切り、休日の夕方、母に詳しい状況を聞こうと、会社から出て直ぐの所にある公衆電話に向かったのですが、あいにく男性サラリーマンが長電話をしていたので、私は暫く公衆電話の前で待っていました。
10分以上待ち、やっと電話を掛けられ母に祖父の状況を聞きました。
愛知県と北海道の距離なので長電話は出来ません。
「じっちゃん、もう長くはないみたいなんだよ」と母が話し始めたら、外から“ドンッ!”と凄い音がして、
振り向いたら茶髪のチャラチャラしたヤンキー女が「早くしろ!」と公衆電話ボックスを蹴飛ばして来たんです。
まだ話し始めたばかりだったけれど、母に「ちょっと切るね!」と言って電話を切り、直ぐに外に出ました。
私は長電話をしていた訳でも無いし、散々待ってやっと掛けられた電話だったのに、こんな事をされる覚えは無いぞと。
祖父の状況が詳しく聞けなかった事にも腹が立ち、そのヤンキー女をおもいっきり睨み付けながら立ち去ろうとしたら、
そのヤンキー女が「ちょっとこっちに来な」と言うので「そっちが来いよ」と言い返し、それを何度か繰り返していたら、そこに丁度、普段大人しい先輩が自転車で通り「KUMA子ちゃんどうしたの~?」と。
先輩に「相手にしちゃダメだよ〰️行こ行こ」と言われ腕を掴まれ会社の寮に戻りました。
同じ部屋の短大生の先輩に事情を報告したら、その先輩からも相手にしない様、注意をされました。
数週間後、学校の遠足で当日愛知県で開催されていたデザイン博覧会へ行く日、私は発熱と酷い腹痛で学校を休む事になりました。
一週間置きにシフトが変わり、早朝5時から工場勤務・昼過ぎから学校/朝から学校・昼過ぎから夜10時まで工場勤務となっていて、遠足の日は朝から学校の日でした。
デザイン博覧会は裏千家の講演会が博覧会の中で開かれるという事で、茶道クラブの方でも個別に一度行っていたけれど、自由行動の時に見たデザイン住宅の展示に感動し、もう一度見たいなと思っていました。
だから遠足でも又デザイン博覧会に行けるのを楽しみにしていただけに、残念で仕方がなく…
会社から保険証を受け取り病院まで徒歩30分くらいの線路沿いの細い道をトコトコと…
熱はあるし、お腹は痛いしで倒れそうでした。
前方10m以上先に同い年くらいの女の子が同じ方向に向かって歩いているのが見えました。
見た感じ、茶髪ソバージュヘアーで、ヒラヒラミニスカートの下にスパッツ(レギンス)、ウォークマンで音楽を聴きながらポケットに手を入れて歩いていました。
私のその時のファッションは、ジーンズにトレーナー、長い髪の毛は左右に三つ編みをしていました。
お腹が痛いから、片手に保険証を持った手をトレーナーの中に入れ、痛いお腹を押さえながら歩いていました。
先方の女の子は何かチャラチャラした感じだなと思いました。
こんな時間に学校も行かず仕事もしていないのかな…とか思ったりして…。
そしたら前方の女の子がチラッと後ろを振り向き、それから数歩歩いてからクルッと回って此方に向かって歩き出し、
忘れ物でもしたのかな?と私は思ったのですが、近づいてきて目の前に来た時に「あっ!」と気付きました。
数週間前に公衆電話の所で喧嘩を売られそうになったヤンキー女でした。
「お前、◯◯(会社の名前)だろ」と。
あの日、先輩に腕を掴まれ会社の門から中に入っていくのを見ていたから知っていたんでしょう。
そもそも小さな町なので、地元の人間ではない事などバレバレだったと思います。
私は先輩に相手にするなと注意されたし、熱もあるしお腹は痛いし元気がない時だったので無視をして通りすぎようと無言で一歩斜め前に出たら通せんぼをしてきて…
身体がしんどいので強引に通せんぼを振り払ったら足を蹴られ、そこで私も頭に血が上りやり返してしまいました。
というか私は病院に行きたいから一発やり返して歩き出し、またやり返して来たから又やり返し、結局踏み切りの中で取っ組み合いの喧嘩になりました。
体調不良とは言え、工場での仕事や中学・高校とバスケで身体を鍛えていたから本気を出せば私の方が力では勝つと思っていたので手加減をしていました。
踏み切りの回りには数名の大人がいて「誰か止めてよ!」と思ったけれど誰も止めてはくれませんでした。
あれは本当に信じられない光景でした。
も~いい加減にしろ!と思って、手加減せずに肘で顔面を殴ったらヤンキー女は一瞬気を失って、
ヤレヤレと思ったら直ぐに気を戻して泣き出し、男の名前を叫んでいました。
喧嘩を売ってきたくせに何なんだ?と。
私は凄くしんどくて…
これでやっと病院に行けると思い歩き出したら「▲▲をなめんなよ!▲▲を呼んでやるからな!」とヤンキー女に捨て台詞を吐かれ、
▲▲って何だそれ?と思い、無視して病院に行きました。
待合室で待っている間、▲▲というのは何なのかを考えていて、でもちょっと怖いなとも思えてきました。
住んでいる所はバレているし、帰ったら会社の門の所で仲間と待ち構えていそうだなと。
恐る恐る会社の門を見たら誰も居なくて内心ホッとしました。
その一連の出来事も先輩に報告しました。
数日後、先輩が「KUMA子ちゃん大変だよ〰️KUMA子ちゃんが喧嘩した相手の父親ってヤクザなんだって!」と。
地元の知り合いから聞いたそうです。
名前はT子と言って地元では有名なヤンキーなそうで、そしてそのヤンキー女は地元の暴走族(レディース)の◯代目総長で、▲▲とは、その暴走族の名前であったという事です。
無事に卒業し製糸工場も辞めて、女子刑務所の様なややこしい人間関係の寮もやっと出られる事になり、
高1の頃に優しい先輩から貰った大きなキューピー人形を捨てる事にしたんです。
大切にしていたんだけれど、寮で使っていた物は全部捨てて新しい道を歩みたい心境だったんだと思います。
でもキューピー人形を捨てたのは何となく人でなしな事をしたような心残りがありました。
先輩が大切にしていたのに私にくれたし、その先輩には特別に可愛がって貰っていたからです。
寮を出た後、寮に残っている親友から、とある話を聞きました。
寮のごみ焼却場に捨てたキューピー人形を工場に新しく入ってきたパートのお婆さんが可愛いと言って持ち帰り、洋服も作って着せてくれているという話でした。
そのお婆さんというのが、私と殴り合いの喧嘩をしたT子の祖母であったという事です。
T子の祖母という事は、ヤクザの父親の母親という事でしょうか。
奇しくも喧嘩の発端は私の祖父が絡んでいて、最後はT子の祖母で終わったという話。
T子との事は完結した気でいても、その後の私の人生は、何かとヤクザが付きまとう人生でした。
ヤクザ以外に宗教団体です。
それが今、エレクトロニック・ハラスメント(テクノロジー犯罪)の影に存在しているとか何とか言われていますが、私はT子との一件は無関係だと思っています。
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